伝統と革新の交差点:創業約400年、老舗漬物屋の上澤家が見出した『守るべきもの』と『変えるべきもの』
栃木県日光市の老舗漬物屋におけるイノベーション型事業承継
創業約400年、江戸時代から続く上澤梅太郎商店。日光東照宮の年貢米の預かり業に起源をもち、その後味噌醤油の醸造屋へ、さらには漬物屋へと市場のニーズに合わせて事業を変え成長を遂げてきました。味噌、醤油を製造販売する中で、先々代の経営者が味噌を造るときに出る上澄み液、いわゆる「たまり」に野菜を漬けて漬物を作ることを考えました。これが当時は画期的となった「たまり漬け」です。たまり漬けの売上は伸び、日光のお土産の定番と言われるまでになりましたが、バブル期に売上のピークを迎えてからは下降傾向。観光客のお土産としての需要が大きかったため、日本人観光客の減少が痛手となりました。そのころ漬物市場自体も縮小傾向にあったことも、売上減少に拍車をかけた要因の1つでしょう。その後上澤卓哉社長は2003年に成長が見込まれるネット通販をスタートしました。受注データを蓄積し、定期的にメールマガジンやダイレクトメール・カタログ送付を行うことで一定の売り上げの確保しました。しかしその後、すぐにネット通販の競争が激化。実店舗の売り上げ減少を補うには、本質的なビジネスモデルの変革と、イノベーションが必要になったのです。
後継者の視点「事業を継ぐべきか」
上澤卓哉社長には、先代社長からの事業承継時に苦労した経験がありました。先代社長が倒れてから3週間で急逝したため、卓哉社長は準備もないまま事業を引き継がざるを得ず、大変な苦労を強いられたのです。この経験から、卓哉社長は自身が事業を譲る際には、できるだけ早く準備を始めたいと考えていました。一方、事業を承継される側の長男・佑基さんには、後継者になることへの迷いがありました。会社の引き継ぎには、資産に応じた相応の税金がかかり、おそらく億単位の現金が必要になります。個人で用意できる金額をはるかに超えるため、多額の借り入れが避けられません。事業の現状を考えると、その借金を完済できるかどうか、佑基さんは自信が持てずにいました。
このように、現経営者と後継者の間には若干の想いのずれがありましたが、それを抱えたまま、イノベーションへの挑戦が始まりました。
調査・分析から見えた、老舗の強みと弱み
卓哉社長は、仕事にかかわることならなんでも興味を持ち、調べ、自分なりの見解を持っています。自社のこと、現代の食生活から生まれる市場のニーズ、競合の動向、様々な食に関するトレンドや話題にも詳しく、さらには世界から見た和食という視点でも市場をとらえています。一方、後継者の佑基さんは、家業を継ぐことを前提に、大手漬物メーカーで数年間修業をし、その経験から社外の視点で家業を客観視することができました。この2人が対話することで、いくつかの発見がありました。1つ目は、自社の主力商品の「らっきょうのたまり漬け」は、重量当たりの価格で見ると競合他社よりも安いことです。大粒で希少ならっきょうを使い、製造工程としても手間がかかっているにも関わらずです。2つ目は、ブランドイメージを伝えきれていないということです。店舗に行きその建物の雰囲気を見れば、さすが老舗と思わせるものがあります。しかし、多くの顧客が接するウェブサイトやカタログからは、伝わってきません。まずは現状の事業についてこの2つの改善に取り組み、営業利益率と利益額の大幅改善に成功しました。目先の経営に余裕は生まれましたが、売上は以前ほどではありません。数年経てばまた苦しくなることは目に見えているため、イノベーションが必要です。
ヒアリングから見えた和朝食へのこだわり
上澤家は食についての関心が強く、食についての話題はいつも盛り上がります。上澤梅太郎商店がなぜいまのような形になったのか、自社の商品の特徴は何なのか、上澤家全員が意見を持ち、発言することで、合意形成が進んでいきました。その中で見えてきたのが、3つのこだわりです。
1つ目は「漬物に添加物を入れてでも、おいしさを優先したい」ということ。上澤の漬物には添加物(保存料)が国が決めた基準値の0・1%程度の量入っています。卓哉社長は「無添加にするには、真空パックにして、高温で殺菌すればよい。しかし、これをやると野菜を一度煮ることになり、らっきょう独特の歯ごたえが失われてしまう。食味を優先するためには多少の保存料を加える方がましだ。もちろん、加える量はできるだけ少なくしたいから、翌日の販売分は必ず前日に袋詰めして、少ない保存料でできるだけ長く食べていただけるようにしている」と答えました。2つ目は「スタインベックの『朝めし』のすばらしさ」についてです。卓哉社長は毎日ブログを書いおり、そのブログの中で一つだけ別のカテゴリとして紹介されている文章がありました。それは、アメリカの作家、スタインベックの「朝めし」という短編小説を紹介する文章です。
いためたベーコンを深い脂のなかからすくい上げて錫の大皿にのせた。ベーコンは、かわくにつれてジュウジュウ音を立てて縮みあがった。
若い女は錆びたオーブンの口をあけ、分厚い大きなパンがいっぱいはいっている四角い鍋をとり出した。
あたたかいパンのにおいが流れると、男たちは二人とも深く息を吸い込んだ。若者は、ひくい声で、「こいつはたまらねえ!」と言った。
私たちは、めいめいの皿にとりわけて、パンにベーコンの肉汁をかけ、コーヒーに砂糖を入れた。
老人は口いっぱいにほおばって、ぐしゃぐしゃとかんでは、のみこんだ。それから彼は言った。「こいつはうめえや」
ジョン・スタインベック「朝めし」 大久保康雄訳 『スタインベック短編集』(新潮文庫)
なぜこの小説を紹介しているのか尋ねると、卓哉社長は「私は一日で一番大切な食事は朝食だと思っている。この小説は、いわゆる贅沢な食卓ではないが、本能に直に訴えてくる、骨太のうまさがある。しかし、最近は朝食を食べない人も増えた。手間がかかるというが、そんなことはない。やり方を知らないだけだ」と答えました。
3つ目は「毎日の食事の写真をネットに掲載している」ということです。卓哉社長は自分が食べたものを2000年から、すべて毎日ブログで紹介しています。特に目立つのが朝食の写真です。ブログの写真を見て「朝から5品も6品もおかずを作るのは大変でしょう?」と尋ねると、毎朝15分ででき、レシピを考えたり、買い物に行く必要がないとのこと。さらに佑基さんが「その理由は、一汁一菜というフォーマットにあります」と教えてくれました。佑基さんによれば、ご飯と漬物に汁物を一つとおかずを一つ添えたものを一汁一菜といい、この一汁一菜は、どのようなおかずと合わせても無理なく献立のバランスがとれるとのこと。
「上澤さんが提供したいのは、漬物ではなく、この朝食の文化なのではないですか?」
「そうなんです!」
上澤梅太郎商店が提供する価値の本質が見えた瞬間でした。そこで、このコンセプトを「上澤の朝食」としてまとめました。
「豊かな朝食」を日常に
日本では和洋中さまざまな食材が手に入る。
選択肢は増えた。
しかし、食は「豊か」になったか。
上澤が作る味噌汁と漬物は、簡素だが、長いあいだ多くのお客様に愛されている。
美味しいごはん、美味しい味噌汁、美味しい漬物。
それさえあれば、毎日飽きない「豊かな朝食」になる。
美味しいと思えるものを、毎日変わらず食べられること。
それが、上澤が考える「豊かな朝食」だ。
上澤の味噌と漬物で、みなさんにも「豊かな朝食」を楽しんでいただきたい。
そしていずれは、それをみなさんの「日常」にしていただきたい。
そんな夢を、僕は持っています。
店主上澤卓哉
汁飯香(しるめしこう)の店 隠居うわさわ
次に私たちはこの「上澤の朝食」というコンセプトをどのように伝えるか考えました。やはり体験していただくのが一番ではないかと思い、朝食を体験するレストランを作ることにしたのです。ちょうど工場の隣に上澤家が持つ、広い庭があり、そこに築100年を超える木造の平屋がありました。さらに、幸いにも日光の観光客は朝早くから日光に来て、夕方には東京などに帰る日帰りの観光客が多く、日光ならではの食材を使った和朝食が食べられるレストランは需要が見込まれました。飲食業は経験したことがありませんし、やるとなれば大きな投資が必要になりましたが、そこに迷いはなく、「汁飯香の店 隠居うわさわ」としてレストランをオープンさせました。開店までにはさまざまな苦労がありましたが、徐々に解決、改善していき、今では週に3日、8時半から14まで営業しています。様々なメディアにも取り上げられ、今では上澤の新しいコンセプトを伝えるブランドの象徴となっています。
新たなサービスの開発
事業承継に迷いがあった佑基さんは、今では承継に向けて前向きに取り組んでいます。現在では、漬物事業を起こした上澤梅太郎氏からの口伝を守り、またそれを伝えてきてくれた職人の経験と勘を製造プロセスとして規格化、次世代に繋げていくためのマニュアル化に勤めています。佑基さんには家族もでき、一致団結して新規事業を推進しています。
(株式会社ゴンウェブイノベーションズの成功事例です)
※ページ上の内容は2024年10月時点の情報です。